ロシアピアニズムとは(1) ~ロシアの辿った歴史~

ロシアにおけるピアノ学派は卓越したピアニストを数多く輩出し続けています。

ロシアンメソッドってなに?(1)でも触れた、ジョン・フィールドに加え、ヘンゼルトといった外国人ピアニストがロシアでのピアノ教育に尽力したことは、間違いなくロシアピアニズムの源流であるといえます。

彼らの継承したピアニズムと教えは、次世代へと脈々と受け継がれていくのでした。

やがて、19世紀半ばにアントン・ルビンシュタインが設立した音楽協会によって、ロシアでの独自のピアノ教育そして学派は確固たるものとなっていきます。

さて、19世紀初頭においても尚、ロシアでは農奴制がとられており、市民の自由はかなり制限されていました。

抑圧された体制下での生活のなかにあっても、農民たちは歌や踊りといった民族的な音楽に、心の充足を求めてきたといいます。

抑圧や弾圧といった強制の元に人々は、心に自由を、そして日常に喜びを求め、文化や芸術こそが市民の心の支えであり、生きる喜びとして彼らに寄り添ったのでしょう。

こうした芸術を愛する気質の強いロシアの民族性は、ロシアにおいて西洋の音楽やピアニズムが独自の発展を遂げる豊かな土壌でもあったといえるでしょう。

さて、農奴制はロシアが西洋に比べ文化的政治的に後進していた直接的な原因でありましたが、
このことに国民が少しづつ気がついていくきっかけともなった大きな出来事は、1815年に起こりました。

侵略の為ロシアを攻めてきたナポレオン率いるフランス軍は、ロシアの取った後退焦土作戦にやつれ、フランスへ引き返しすのですが、ロシア軍はフランス軍をパリまで追いかけて行くのです。

そこで目にしたパリの文化薫る美しい街並み、そして自由さは、若いロシアの軍人たちに大きな衝撃を与えたといいます。

後の1861年に農奴制自体は廃止されることとなり、1922年にはソビエト連邦として世界で初めて社会主義の国家となります。しかし、戦争や内戦、革命が繰り返され、安定した国家、そして平和とはかけ離れた暗い運命を辿り続けました。

19世紀20世紀にロシアで生まれた数々の音楽や文学作品に見られるような悲劇的性格や独特の暗さは、戦争や紛争の残酷な史実、そしてそこに存在していた人々の引き裂かれるような心の痛みに他ならないのです。

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー

レニングラード交響楽団

ロシアンメソッド・アウェアネスメソッド
松岡音楽教室
松岡優明(ゆうま)

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