音楽とピアニズム(5)~寛大な存在としての音楽~
ピアノ演奏における様々なピアニズムは、音楽を実に色々な角度から、それぞれに見つめています。
それぞれの「ピアニズム」は決して朧気で曖昧なものではなく、確固たる法則に基づいています。
音楽を感覚的に捉えること同時に、楽器や体を使い、あるピアニズムが体系的に解明かしてきた普遍のメカニズムを身を学ぶこと、
そして何がどういう音につながり、自分はその音を聴いてどんなふうに感じたのか、
といった経験を通して、正しい理解が促されさえすれば、
あとは各々が自らに必要なテクニックを正しい方向に求めていくことが出来るのだと思うのです。
そして、これから出会うであろうあらゆる教えの「本質的な意図」に近づくための素養が整うと思うのです。
ピアニズムには、様々な流派があり、
演奏にも実に様々な可能性があります。
異なるピアニズムや解釈は、
互いに牽制しあったり、議論を生むことも多々ありますが、
音楽は、常に寛大な存在として私たちの前にあり続けます。
でもお話したように、音楽を学ぶにあたって、たった一つの物差しを自分にあてがわないで欲しいと思います。
そして、誠実でこそあれば音楽は私たちの在り方に対して、誰よりも寛大であることを忘れないで欲しいと思います。
未熟ながらも、
幾らかのピアニズムに触れ、
それらに素直な尊敬の念を持って接したことで、演奏のもつ可能性に対する視野は広がりました。
また、ピアニズムの理解を通して演奏のみならず普遍的な真理に繋がる指針と、様々な演奏に対する理解と許容ができるようになってきました。
まだまだわからないことも多く、
至らない存在ではありながらも、
音楽教育を通して、
あらゆる程度の才能が健やかに育まれ、社会に対して自らの声を上げていくことの出来るような人間が育ってゆく後押しが出来たら、と思っています。
「音楽とピアニズム」
松岡優明
“音楽とピアニズム(5)~寛大な存在としての音楽~” に対して3件のコメントがあります。