ショパンエチュード研究 シリーズ【番外編】 作品25-2
はじめに
松岡音楽教室でこの作品に取り組まれている方が多いこと、
また「是非作品25-2を!』というご要望をいただいた為、
今回は【番外編】として作品10からではなく、作品25から第2番を取り上げます。
流れるような三連符の美しいこの練習曲は、
しばしばショパンエチュードの入門として勉強されることが多い楽曲です。
私にとってもこの曲は初めて勉強したショパンのエチュードでした。
このエチュードは、
右手のパッセージの音域が広くないこと、
あまりに急速なテンポではないこと、
などの理由から、いわゆる「指弾き」でも、難なく演奏できてしまいます。
その為か、この曲がショパンの意図したのとは正反対のテクニックで、
しかし、とても巧みに 演奏されているのを良く耳にします。
このブログでは頻繁に申しあげておりますが、
ショパンの練習曲の目的や、その指導方法が、ショパンの意図したであろうものとは正反対の形で誤解されているケースが非常に多くあります。
また、校訂された、あるいは補筆された楽譜の中には、ショパンテクニックの意図を全く無視した運指やペダルが指示された楽譜もあり、その指示を鵜呑みにすると良くない場合もあるため注意が必要です。
こうした原典版ではない楽譜は、廉価で手に入るため、使用されている方も多いとおもいますが、その他に原典版を用いた楽譜、校訂に信頼のできると思われる楽譜参照なさることは、大きな助けになるでしょう。
ただ、ショパンは運指をその都度で変更したり、生徒に手の作りや特徴に合った運指をふってあげていたそうですから、一つのパッセージに一つの運指しか存在しないわけでは、決してありません。
ただ、あれ?と思ったら、迷わず他の楽譜を参照してみると良いでしょう。
作品25-2は、ショパンのテクニックの真骨頂
さて、このエチュードは、ショパンの作品のみでなく、ピアノを演奏するための大事なテクニック、それも汎用性の高いパッセージの演奏方法を習得する上で、非常に優れた楽曲です。
この練習曲を徹底的に勉強すればきっと、
ほかの楽曲で 「難しい!」と思っていた箇所が、スムーズに流れるようになっているでしょう。
連なる三連符には、長いスラーが指示されており、あらゆる音形も滑らかな一筆書きのように、淀みなく演奏されます。
この一筆書きの様に滑らかな曲線の美しさ、
そしてその人工的でない自然な表情こそが、
ショパンのテクニックによって得られる一番大きな「宝」であると思います。
腕ぐにゃ奏法!?
ショパンのエチュードが求める奏法では、
手首を柔らかく使い、ふんだんに動かすため、最近レッスンのなかで「腕ぐにゃ奏法」なんて呼ばれたりすることがあるのですが、
腕がぐにゃぐにゃと稼働できる状態、そして手首を決して固めてしまわないことは、まず一番に大事なことです。
練習中に手首が固まっている瞬間や、
前腕に力みを感じる瞬間を見つけたら、
それがどんなに僅かであっても、その「しこり」を生み出している動きや、
手の使い方を徹底的に修正してあげる必要があります。
ショパンのエチュードを弾いて前腕をつりそうになるほどに痛め、「もうギブアップ!」というような具合で手が全く動かなくなる、なんてことはおそらく多くの人が経験したことがあると思います。
それを乗り越えるために、痛みを伴った練習を続けることで、
痛みに慣れたり、手があまりにも緊張している状態で曲を弾き切るための持久力をつけたりすることは、あまりにも残念で無意味なことです。
それこそ、『隣に医者を用意して』練習する必要が出てきてしまいますね。
しかし、
手首をぐにゃぐにゃと、フレキシブルに稼働させて、
力を逃がしたり、指の動きを助けたりしながら(正確には指の動きが手首の動きを助けるのですが・・・)、
手全体をしなやかに使うことが出来たのならば、
誰でも、この痛みを伴うあまりにも危険な奏法から脱却することが出来るのです。
では実際にどんなふうに練習をしていけば良いのでしょう。
練習方法の4つのポイント
☆その1「指に一切力を入れない」
いわゆる、オバケの手の様に手の力を抜きます。
こんな風に力を入れず、指先がぐにゃっと折れてしまうような状態です。
そのまま脱力した上程で、
手の内側にボールがフィットしているようなつもりで、手を自然に丸めます。
実際にボールを持つ場合には、手のサイズに合ったものを選びましょう。
また、力を入れて持っているるボールを握ったり、持ち上げたりする必要はありません。やさしくボールに手をかぶせるようなつもりで、手を自然に丸くします。
そして、その状態の手を、指ごとゴロっと前に転がす様なつもりで、
巻き込んでいく、とか、ローリングするように
鍵盤の上でこんな風に動かしてみます。
では、次に指先に力を入れず、手を軽く丸めて、こんな風に指先で「こねる」ような動きもやってみましょう
「ボールを転がす動き」
「指先でこねる動き」
この二つの動きを使って、はじめの2拍分の右手を弾くことができます。
このときに大事なことは、まず手や腕全体に力みがない状態を常にキープし、その状態で指が鍵盤に触れる感触をしっかりと感じることです。
☆その2「音を揃えない」
音を揃えるにはまだ早すぎます。
音を揃えたりコントロールすることを急ぎすぎては、そこまでの段階でもっと大事な「体の使い方」という基礎を飛び級してしまします。
そうすれば、無理な動きや、よくない癖がどんどんと増えていき、手や指の動きは益々鈍くなり、それを補う様にして体を酷使することで、手を故障し兼ねません。
その1のような、最もにリラックスした手(特に肘から先にほとんど力を入れません)を使い、鍵盤に指をフィットさせながら、
「手首のボーイング(弦楽器における弓使い)」をしっかりと見つけ出していきます。
上下左右、あらゆる方向へと手首を動かしながら、
鍵盤にフィットした指先を「押す」のではなく、
手首で鍵盤の底の方へ「送る」ように使っていきます。
ちょっともう少し先まで弾いてみましょう
転がすのか、こねるのか、あるいは回すのか、送るのか
それもどれくらいの大きさの円を描けば丁度良いか、
自分の5指のある場所と相談しながら微調整をしていきます。
音を揃えるのはその次の段階です。
粒が揃っていないこと、音を間違えること、抜けてしまうこと、
あるいは蚊の鳴くような小さな音であること、
こんなことは一切気にせず、どう手首を動かせば、次の音の近くにある指がその音まで送れるか、を考えてあげましょう。
そして、指先から鍵盤を触りにいくような動きはせず、
あくまでも指先が鍵盤とコンタクトするまで、手首から動かしてあげるよう意識します。
この段階で、指先の意識はまだ必要ありません。
☆その3「一音一音を聞きにいかない」
一音一音をその隣り合った音と比較するようにしながら、打鍵をコントロールしないように気を付けましょう。
そうすると、指を動かしてその打鍵のスピードや深さを、一音一音の単位でコントロールしてしまうようになります。
こうすれば、「手首のボーイング」に辿りつけなくなってしまいます。
大事なことは、「音を揃える」ことではなく、
音の連なりが、然るべき自然な曲線を描いていることです。
一音ではなく、その曲線がどのような線を描いていて、どこへどうやって飛んでいくのか、あるいは着地していくのかを、しっかりと思い描きながら、傍観するよう努めることです。
この意識の改革には少々時間とコツが必要かもしれません。
☆その4「跳躍のポイントは【弧】の描き方」
左手の伴奏は跳躍を続けますが、この弾き方にもコツがあります。
音が飛んでいると、どうしてもその飛んだ先の一音を狙いにいってしまいますね。
しかし、これも着地点にどう向かい始めてどうやって移っていくのか、
また、その時の手の動きがどんな「軌跡」を描いていれば、正確に目的の音へ着地できるのか、を見つけだし、練習します。
この時に「音を狙う」感覚はなく、あくまでも、正しい【弧】を、完全に滑らかに描くよう、訓練します。
音が当たらなければ、どうしてもイライラしてしまうかもしれませんが(笑)「聞こえてくる違う音」に翻弄され、練習の目的を見失わないように努めます。
正確な音への着地はあくまでも適切な【弧】を手首が描いた結果にすぎないことを忘れず、最短距離で音を狙ったり、手段を選ばず、正確な鍵盤を押しにいくような練習はなるべく避けると良いでしょう。
まとめ
ショパンの作曲した一連の練習曲は、決して指を独立させて俊敏に動かすためのものでも、俊敏な動きを継続するための持久力のトレーニングでもありません。
音を揃える、正しい鍵盤を間違えずに弾く前に、
音が抜けてしまった、とか、間違えてしまったというのは結果にすぎません。
打鍵までの過程、つまり手の使い方、体の状態や、意識の
99パーセントが理想的に行えていた、という実感は、音を間違えることよりもずっとずっと大事なことです。
【追記】
動画の中で使用している指使いはウィーン原典版を参照しています。(楽譜の画像はブライトコプフ版で、ショパンの運指がふられています。)故・バドゥラ=スコダ氏が、ショパンのオリジナルの運指のほかに数ある有力な運指を選りすぐり、幾通りかを記載している為、非常にオススメなエディションです。
それでは今日はこの辺で♪
松岡音楽教室
松岡優明(ゆうま)