上手くいっていることにも、ちゃんとした理由がある
私たちはなにか物事が上手く行っているときには、精神的あるいは肉体的にそれが「上手くいっている理由」についてあまり深く考えることはないと思います。
「上手くいっている」ので、
なにもそれをどうこうと考える必要はないのです。
そして、
今まで「上手くいっていったこと」が「上手くいかなくなった時」に初めて、
何故上手くいかなくなってしまったのか、
について考えさせられることになるのです。
そうして初めて、今まで「上手くいっていたこと」に、その理由や原因を求め知ろうと、
「考える」のではないでしょうか。
そうしたときにだいたい陥りがちなことは、
ついつい「考えすぎてしまう」ことです。
物事に対して真剣であればあるほど、人は考えすぎてしまうのです。
「考える」というのは、とても大事なことです。
そして同時に、「考えすぎてしまう」ことは危険なことでもあります。
物事を考えるときには、ある事象について考えうる隅々までを理詰めにしてしまいがちですが、
このときには同時に無意識的に「感じている事」についても気を配らなければなりません。
今まで考えることのなかった、「無意識の領域」に踏み込んでみるのです。
私たちは行動するときに、
あらゆる事象について完璧に考えつくし、動作のすべてを意識の下で行うことは出来ません。
ある動作を意識的に行っていれば、
その他の動作は無意識的に行われている
のです。
実際に、無意識の割合は、あらゆる動作の実に90パーセントを超えるといわれています。
私は今、電車でこの記事をスマートフォンで書いています。
今私が意識をしているのは、文章を構成する「言葉」や「文法」についてで、
一つ一つの文字を打つ動作は、半ば癖のようにほぼ無意識的に行われています。
反対側の手には財布を握っていますが、この「握る」動作は、無意識的に行われています。
また、足を組み替えたり、重心を変えたりしていたことにも今気が付きました。
これも勿論無意識ですね。
では、これをピアノを弾くときに置き換えて考えてみるとどうでしょう。
スマートフォンの画面をタップし文字入力する行為は「打鍵」
その入力している文字や文章の内容といった書き出されるものは、
「頭の中に流れている理想とする、今実現させんとする音あるいは音楽」でしょう。
左手に握られた財布は、、なんでしょうね(笑)
足の組み換えたりして、重心を移す行為は、
そのまんまでしょう。
私たちがピアノを弾くとき、
「あっ、上手くいっているな」
と思えるときには、
こうした無意識の下に行われている動作が、
意識して行っている動作を助けるように自然に、程よいポイントに入って来てくれています。
そして、それが練習している時と同じように、「自分に馴染む形」で働いてくれているのです。
足の重心や姿勢、手の動きや頭の動き、意識を置く箇所、
などといったあらゆることは、いつも通りの自然な形で処理されていることになります。
その一方で、「上手くいかない時」の大きな要因の一つは
普段、無意識的に行っていた動作について「考える」行為が介入してしまうこと
にあります。
演奏中に、突如として
足の位置や重心はどこにしよう?
背筋が曲がってる、伸ばそう、、、
あれ、次の音はこれで合ってあっけ、、、
など
普段、無意識的に通り過ぎるように行われていた動作について、
立ち止まって考えてしまったことは、多くの方が経験したことのあるような
舞台上に於ける「怖い」瞬間の一つではないでしょうか。
このように普段無意識であった動作に、
突然意識が向いててしまったときには、
脳の使い方は変わっていて、既に体はいつもと異なる動きをしています。
その結果として、
音を間違えてしまった、暗譜が飛んでしまった、とか指がいつも通り動かなくなってしまった、
などといった失敗が生じてることになります。
またあるいはそこを上手くきりぬけられることもあるでしょう。
しかし、成功、失敗といった結果だけにとらわれ、一喜一憂することはあまりオススメできません。
もし仮にその場を切り抜けていたとしても、
今まで無意識であった要素に突如として意識を持ってしまった時点で、
自分の意識をコントロール出来るだけの「実証」を練習の段階で見つけ出せていなかったことになるのです。
これは、緊張をコントロール出来なかったから、などと片付ける事もできますが、
そのままでは本番はいつも半ば賭けのようなものであり続けます。
そこで、私たちが本当にしなければいけことはなんでしょう。
それは、練習の段階で
無意識的に行っている動作のすべてに自分なりの「正解」を見つけ出しておくこと、
意識するべき焦点を狙った場所へと絞り、且つそれを達成し続けること、
そしてその方法を正しく学ぶこと
であると考えます。
本番で理想とする音を頭の中で響かせ、
出てくる音を正確且つ客観的に聞き取ること
のみに焦点を絞り続けるためにも、
指だけでなく、手首、肘、肩、足、頭そして体全体のあらゆる「動作」の理想的な在り方を見つけ、それをもう一度無意識に落とし込み、戻しておく必要があるのだと思います。
そしてピアノに向かうときにはいつも、
正しい方向に「集中力」を向けることを習慣をづけるよう、努めているべきなのです。
松岡音楽教室
松岡優明
※ショパンエチュード研究第3回~別れの曲~
は只今執筆中です。公開まで今しばらくお待ち下さいませ🙇