音楽とピアニズム(2)~ピアニストにとってのピアニズム~
私が10代の頃に行っていた、トレーニングや、鍵盤上でより俊敏な指捌きを実現するための訓練は、その目的において効果をもたらしてくれるものでした。
2年に渡り、神経、筋力、関節をトレーニングしたことにより、難曲と言われる曲に挑むことのできる技術が身につきました。
しかし、それと同時に演奏から「上手さ」が聞こえてくることに対する違和感は次第に強くなっていき、
やがて「上手さ」にとらわれた練習に熱中していた自分の未熟さを実感した同時に、音楽とは一体どこにあるのだろうかという根源的な問題に立ち返ることになりました。
やがて自身のテーマが「誠実さ」や「人間性」、「初期衝動」といったものに向けられて行くようになると、
イマジネーションを頼りに、純粋な気持ちで素直に音楽と向き合いながら、
ピアノという楽器に「太刀打ち」しなければならないと感じました。
それが、私が「ピアニズム」について初めて考えた瞬間であったかもしれません。
その後留学を決意し、フランス人ピアニストのエリックルサージュ氏を訪ねてドイツはフライブルクに渡りました。
そこで私を迎えてくれたのは、
寛容な音楽の世界でした。
彼の視点は、常に音楽を通して表現された演奏者自身の「心」にあり、演奏に対する不安や、技術的な未熟さではありませんでした。
自分自身のありのままの姿を見透かされたと同時に、受け入れられたように感じました。
彼のピアニズムは、まさに自然体そのもので、
彼には、目の前の人を決して緊張させないような、心地の良い雰囲気が漂っていました。
彼こそは、私たち一人一人の人間は皆、独立した存在であることを誰よりもよく理解していたのだと思います。
私は彼から、まず音楽家としての一つの在り方を学びました。
人としての憧れと尊敬は次第に強くなり、自分も彼のように様々な個性に対して寛容でありたいと思うようになりました。
テクニックにおいては、リズムやフレーズに対する敏感な感性、そして良いセンスとは何か、ということを明確な指針の下に、教わり続けました。
彼の手から繰り出される軽やかで自然な音は常にそこにある音楽にフィットするもので、アンサンブルにおいては、それぞれの奏者の間を水のようにサラサラと流れ、空気のように自然に、そして瑞々しく存在していました。
そこにもまた、彼の「ピアニズム」が存在していたのです。
に続きます。
松岡優明
“音楽とピアニズム(2)~ピアニストにとってのピアニズム~” に対して3件のコメントがあります。