粒を揃えてはいけない理由

粒を揃えること


「粒を揃える」

殆どの学生はこの言葉を耳にタコが出来るくらい聞いたのではないでしょうか。

「粒」とは音の持つあらゆる要素の質のことです。
ですからあるパッセージを弾いて、先生に
「もっと粒を揃えて!」

と言われたならば、
そこに連なっている音の一つ一つを、音量、音色ともに均質に揃えて弾きなさい、と言われていることになります。

では、均質まるでモールス信号やMIDIのように弾けばよいのか、と言えばそうではありませんね。

音が連なるならば、それぞれ音には音程があります。そして、それはフレーズやある音型、あるいはモチーフを作っています。

ですから、
「粒を揃えて!」
と言われ、

粒を揃えよう・・・粒を揃えよう・・・
と呪文のように唱えながら熱心に練習をしたならば、

今度は、「機械的に弾かないで」
という注意が待っている事でしょう。

ではどうしたらよいのでしょうか?

粒を揃えるための練習を批判したショパン


「粒を揃える」という概念、
そして「粒を揃えることは上手な演奏の第一歩でもある」
という考え方からは決して生まれ得ない奏法、
しかし、まるで魔法のように美しく演奏できる奏法がこの世には存在しています。

ショパンは「指は鍛えるな」とまでも、言い切っていたのです。

指を鍛えること、そして、その必要性が当たり前のように考えられていた当時において、
ショパンはこんな大胆な発言ができたのでしょう。

そして・・・

今でも日本では主流といわざるを得ないピアノ奏法とは一体なにが、どう違うのでしょうか?

指を使う?手首を使う

指を使うのかあるいは 手首を使うのか

この違いによって 体のあらゆる部分の理想的な状態 は全くといっていいほど変わってきます。

実際にショパンは 肘を横に突き出したり、脇を開いたりする動作を禁止していました。
また、 手を鍵盤に水平に構えることも「良くないことである」と言い切っていました。

肘を出したり、手は鍵盤に水平に構えたり、
これは現代だって、ピアノを弾く人には非常によく見られる手の使い方ですし、
そうやって教える方法が悪であるとは、言えません。

しかし、打鍵するために、指先から肩まである「手」の中の、
いったいどこに「エンジン」があることが良い、と説くメソッドなのか
これによって、手の構えだって随分と変わってくるんです。

前回の、「人差し指をどう使う?」の記事の中で、ある音の連なりを弾く2パターンの方法をご紹介しました。

2の指の関節を曲げて打鍵するのか
あるいは
2の指をほぼ動かさずにまるで手首から指が生えているかのようにして、手首を曲げたり上げたりして打鍵するのか

という違いを、動画で説明しました。

今日は ドレミファソ を弾いてみましょう。

まずは、
5指の関節や付け根を順番にそれぞれ一回づつ曲げたり倒したりするようにして弾く方法。

では次に、指をほぼ動かさず、腕で鍵盤の上の空中に、手首でアーチを描くように動かすことで打鍵をしてみます。

「ドレミファソを弾く」点に於いて、とても簡単そうに見えませんか?

腕を一回ぐるっと回すだけです。

音のグルーピング、腕のボーイング

さっきの二つ目の動画では、

ドレミファソ という5つの音を1つのグループとし、
一息の、たった一回の動きで演奏しました。

ここには、5つの音の粒を揃える、とか
形も長さも違う5本の指を均等に使おう

なんていう概念はありません。

ただ、音をグルーピングし、それを弾くための手首の動きを弦楽器の弓遣いのごとく見つけだしたのです。

そうすることで、ある音の連なりに、

風が吹きぬけるような、ボールが飛んでいくような、あるいは木の葉が空に舞うような、
そして、歌を歌うようときの息遣いのような、


そんな

自然な曲線を描かせたのです。

ここに、今日のテーマでもある、
「粒を揃えてはいけない理由」
があるのです。

粒を揃えようとすることの弊害

「粒を揃えよう」と考えれば、
一本一本の指の打鍵の瞬間に着目してしまいがちです。
それは、音の一つ一つをコントロールし、隣同士の音と均質になるよう務めるからです。

その為に指先をコントロールしようとすれば、大概、手首はガチっと硬直します。
そして、手の甲をほぼ動かずに固定して、5指を何かしらの方法で独立して動かすようになります。

これを始めてしまうと、
二つ目の動画で紹介したような、手首を柔軟にあらゆる方向に動かしたり曲げたりして使うことができる、という大切な選択肢が真っ先に消去されてしまうのです


どんなに早い16分音符だって、音をグルーピングし、腕を弦楽器の弓遣いのように腕のボーイングを丁寧に考えていけば、
そこまで指を酷使しなくとも、鮮やか且つ音楽的に弾ける可能性が大いにあるのです。


「手首を柔軟に動かして使う」という、大事に選択肢が消えたならば、
それだけテクニックの習得は困難になり、得られる成果に対して、長い時間の練習やトレーニングを要するでしょう。

それは、手が使えるにも関わらず、手使わずに鉛筆で文字を達者に書く方法を模索し、その術を習得しようとする程に、盲目的なことです。

まとめ

手首を柔軟に使い、音をグルーピングし、腕のボーイングで、あるパッセージを弾いたなら、
そこにはまるで息づかいのように、そして歌声のように自然なフレーズが出来上がっているでしょう。

そして、フレーズの形と共に腕は空中へと抜けていき、フレーズの終わりの音が飛び出すように強い語気を伴う、なんてことは起きづらくなるでしょう。

「腕のボーイング」は、なにを複雑に考えなくとも、
私たちがまるで息を吐くように容易に淀みなく、音に然るべき表情を与えてくれます。

それこそが、ショパンが言っていた
指の力を均等にするために、今までに無理な練習が随分行なわれてきた。指の造りはそれぞれに違うのだから、その指に固有なタッチの魅力を損なわない方が良く、逆にそれを充分
活かすよう心がけるべきだ。」

という言葉の意味なのではないでしょうか。

そしてこれは、手首を柔軟に使っていたからこその発想なのでしょう。

「粒を揃える」
ではなく、
「音に自然な曲線を描かせる」
と考えることで、

体の使い方だって、音の聞き方だって、自然と変わってくるかもしれませんよ。

それでは今日はこの辺で。



松岡音楽教室
松岡優明

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